■「生命の木」とは?


イクイリブリアムボトルとこの「生命の木」や「タロット」との関連は、オーラソーマレベル3コースで学びます。

簡単に言えば、「生命の木」とは意識の地図です。

オーラソーマシステムは魂を映し出す鏡ですが、「生命の木」はあなたの魂を見いだすための意識の地図ということになります。

その意味で、「生命の木」はイクイリブリアムボトルの意味を読み解く手がかりとも言えますが、逆にボトルは「生命の木」を読み解く鍵ともなりえます。

イクイリブリアムボトルは現在99番までのボトルが「生命の木」と対応しており、100番~106番のボトルも生命の木との対応が様々な角度から検討されている途上です。

「生命の木(Tree of Life)」は、旧約聖書の創世記でエデンの園の中央に植えられたとされている木です。

そしてこの生命の木の地図は、その木のリンゴを食べた罪でエデンの園から追放されたアダムとイブが、もとの楽園に戻るために神から与えられた地図なのだとも言われています。

「生命の木」はユダヤ人(ヘブライ人)の神秘学カバラと深く結びついていますが、「カバラが生命の木を創造したのでもないし、それについての証拠もある」という説もあります。

「それはすべての種族や宗教を越えたところから来ました」
『フラワー・オブ・ライフ』(メルキゼデク著、ナチュラルスピリット刊)

伝統的には「生命の木」は創造の図。宇宙に働いている原理を客観的に表した図式だと言われています。

「生命の木」が根本的に表現する真理は「すべてはひとつ」ということです。

ただ、この図には、そこに至る多様な視点や原理や過程が表現されています。

その意味で、この図には意識の全諸相が包含されているとも言えます。

■「生命の木」の概念図


「生命の木」は図式ですから、図をイメージできないとどうしてもわかりにくいので、最初に概念図を示しておきます。

生命の木

「生命の木」には10個のスフィアがあるのですが、まず、その位置順番のイメージをつかんでいただこうと思います。

漢字の「申」という字がありますね。

いまこの「申」という字に上方から「光」のシャワーが降り注いできているのですが、ただ右側の光の足先が少し先に到達する、と想像してください。

その「光」が降りてくるとき、この「申」の字の特異点(スフィア)が順番に点灯していくのをイメージしてみるとわかりやすいかもしれません。

その点灯する順番がスフィアの番号です。

すると、「申」の字の次のような位置に、順に1番から10番までの特異点が浮かび上がります。

その特異点(スフィア)には、それぞれ次の図のような名前がついています。

生命の木の特異点(スフィア)

じつは、この「申」の字は、実際の図式より少し寸が詰まっています。

この「申」の字を人体の図式と考えれば、生命の木の図に対してうつぶせに横たわるとすると、この人は「頭頂」から光を受けはじめ、以後「右側」→「左側」の順に光を受けていくわけです。

もしこの人が上向きに横たわっているとすれば、先に右側(つまり「左肩」)に、次に左側(つまり「右肩」)の順で光を受けるはずです。

つまり、人体の左側(右脳支配の側)のスフィアが先に点灯することになります。

「生命の木」では、向かって右側の列[2,4,7]が「慈悲の柱」と呼ばれます。

向かって左側の列[3,5,8]が「峻厳の柱」と呼ばれます。

そして、中央の列[1,6,9,10]が「均衡の柱」と呼ばれます。

■「生命の木」のおおよその概念


ヘブライの神秘学「カバラ」では、アイン(無)からアイン・ソフ(無限)が生じ、アイン・ソフ(無限)からアイン・ソフ・オール(無限光)が生じた、とされます。

「生命の木」では、現象界を生みだすこの無限光は、頂点のスフィア 「1.ケテル」から流れ出す、と考えられています。

ケテルに端を発した無限光(「雷の閃光」)は、コクマ、ビナー、(ダアト)、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクトというふうに、10のスフィアをグラウンディングして物質世界に到達します。

理解できる言葉に翻訳すると、「王冠」に発した無限光は、「知恵」「理解」〈知識〉「慈悲」「峻厳」「美」「勝利」「栄光」「基礎」「王国」と、10のスフィアを通って、物質現象として顕現するとも考えられます。

そして、そのすべての背景に、非顕現としての「無」があるわけです。

「生命の木」とは、その「無」から生じた「無限光」から発したものが、物質世界として顕現するまでに経由する中継点、経験するステップを配置した地図と考えることができます。

また、これを魂の成長の物語と考えることもできます。

なぜなら、「生命の木」の構成要素には、10個のスフィアとダアトだけでなく、それらのスフィアをつなぐ22本の小径(パス)も含まれるからです。

個々の魂は、いま「生命の木」の特異点としてのスフィアのいずれかに向かう途上にあると考えるなら、すべての魂の旅はこの「生命の木」にマッピングできるでしょう。

その意味で、「生命の木」はまさに意識の地図と言えるでしょう。

■「生命の木」の4つの世界とその相互関係


「生命の木」は顕現世界を映しだす意識の地図ですが、最終的に物質世界を顕現するにいたるまでの4つのレベルに反映されています。

すなわち、
の4つのレベルです。

生命の木

ご覧になってわかるように、火、風、水、地の4つの世界は垂直に全体が重なっているのではなく、上の世界の下半分(ティファレト-マルクト間)が、下の世界の上半分(ケテル-ティファレト間)に重なるというふうに、上下で「生命の木」が半分ずつずれる形で重なっていきます。

ものごとが地上に実現するまでの様子を想像してみてください。

最初にまず、ひらめきのようなアイデアの原型が生まれ、そこから創造的アイデアが沸きだし、そこから具体的設計図が形成されて、それを基に実際の建物が建てられる……と、そんなイメージがわきますよね。

あるいは、火と風と水と地をこんなふうにイメージすることもできます。

火は風によって燃え立ち、熱(エネルギー)は空気に伝わります。

その空気 (H2の水素とOの酸素)から水(H2O)が生成され、それが大地に伝わって植物の滋養となります。

それが巡り巡って動物などの生命を潤す……と。

つまり、すべては関連しあっていて、じつは、ひとつなのです。

人間では、これらの4つの階層はスピリット(霊、精神)、知性(頭)、感情(心)、肉体(内臓、物質、行動)の世界と対応しています。

つまり、まずスピリット(霊)の世界から、アイデア、考えが生まれ、そこから感情が生じ、それが行動となって物質世界に実現していく、という流れです。知情意とも言われますね。

目に見えるこの物質世界に生きていても、じつはそこに目に見えないエネルギーがあること、見えない世界が浸透していることを知ることが必要なのです。

相対的な現象世界にはこの4つの要素があり、そのバランスを取る必要があることを、この「生命の木」は教えてくれます。

それらの4つ要素にも目覚めていくことが、自分の内側のスピリチュアリティに目覚めていくことと連動しているのです。

ポマンダーの動作の中で、頭の上で両手を合わせ、「上にあるがごとく下にもありますよう」と祈りながら、合わせた両手を第三の目から喉のチャクラまで下ろしていきますが、それは、このアツィルトの世界を下の方の世界に伝えていく動作ともいえます。

■オーラソーマシステムの「生命の木」リーディング


上述のように、オーラソーマシステムではこの「生命の木」が、基本的に生命世界の4つのレベルのすべてに反映されていると考えます。

すなわち、
の4つの世界です。

では、実際に「生命の木」リーディング を見てみましょう。

ここであなたの4本を選んで、そのすぐ下の[リーディング]ボタンをクリックしてください。

最初に表示されるのが、「ゴールデン・スレッド」のリーディング結果です。

図を見てわかるように、火風水地の4つの「生命の木」が表示されています。

上から順に、火の「生命の木」(淡い肌色)、風の「生命の木」(淡い青)、水の「生命の木」(淡い水色)、地の「生命の木」(淡い黄色)です。

この同じリーディング結果を、上のラジオボタンを使って2番目の[平面図]で表示させてみてください。

(すぐに表示されなければ、いちど他のボタンを選択してその表示をさせてから、再度[平面図]を選んでみてください。)

すると、さっき4つのレベルに分けて表示されていたボトルたちが、今度は上から透かし見たように、1つの「生命の木」に配置されていますね。

ところがよく見ると、この[平面図]にも上から下に向けて、さっきの「ゴールデン・スレッド」の4レベルの背景色の部分があるのがわかりますか?

つまり、それぞれの「生命の木」にも、火風水地の各領域があるわけです。

オーラソーマコンサルテーションで4つのレベル、スピリチャル、メンタル=サイコロジカル、エモーショナル、エナジーレベルのリーディングがあるのは、このような「生命の木」の捉え方とも対応しています。

■「生命の木」にスフィアとして現れない「ダアト」


生命の木のスフィアは1から10までありますが、そのどれにも属さないスフィアがあります。

それはちょうど真ん中の柱の「1.ケテル」と「6.ティファレト」の中間の、円が描かれているところです。

上の「申」の字の図では表現できませんでしたが、じつは、ここからはどのスフィアともパス(小径)でつながっていません。また、番号もありません。

「ダアト」と呼ばれています。

じつは、ダアトをスフィアというのも正確ではなく、「非スフィア」、「スフィアではないスフィア」と言われています。

「ダアト」は「生命の木」には位置していない、ともいえるのです。

それでいて、「知識」という名前がつけられていたり……。

いったいこれは何なのでしょう?

これは「ギャップ」を表しています。

Abyss(深淵)とも言われるし、 unknown(未知なるもの)とも言われます。

伝統的な解説では、ダアトは次のように説明されています。

 それはあくまで未顕現なのだが、顕現世界に場所を持ち、生命の木の上では「ダアト」(知識)と呼ばれる非セフィラーの位置に置かれる。これは「絶対者」が存在世界に直接介入するため、自由自在に入り込んでくる場所だと言われている。存在世界は、今でこそ永遠のごとく続いているが、それも「神の意志」が「ダアト」を介して働いている限り存続するにすぎず、やがては「神の意志」が存在世界を消滅させるときが来るのである。人間の立場からすれば、「ダアト」はどこからともなく生じ、「神」から直接由来する「知識」を意味するが、これは「知恵」(コクマ)の叡知的直観とは全く異なっている。

生命の木は、この世界をどう見るか、人間をどう見るかというマインドマップのひとつです。

マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)の見取り図です。

先に触れたように、「生命の木」を人間の形になぞらえることもできます。

「1.ケテル」が人間の頭だとすると、「2.コクマ」と「3.ビナー」は人間の肩に相当します。

すると「ダアト」はちょうど人間の胸の真ん中、ハートの位置にあります。

勝手な解釈ですが、「ダアト」とは「ハート」のことだと言えるかもしれません。

一般に「生命の木」では、「6.ティファレト」がハートだと解説されていますが、ここはタロットのキングが位置する場所であり、すべてのスフィアにつながっているという意味でも、スパゲティジャンクションとしての太陽神経叢に該当しそうです。

マインドにとって、ハートはギャップであり、未知なるものであり、深淵です。
それは究極的には「無」であり、「空っぽ」のスペースにつながります。

ハートはマインドでは理解できません。

だから「ダアト」すなわち「ハート」は、マインドマップである「生命の木」のスフィアとしては現れないのでしょう。

■「生命の木」と瞑想


マインドからハートへ、ということが瞑想の第一歩です。

ハートを感じ、ハートに降りることから瞑想がはじまるのです。

「ダアト」はそのハートの瞑想のなかで出会われるものです。

「生命の木」には、単に物質的な世界だけでなく、精神的な世界、スピリチュアルな世界、非顕現としての無の世界が、象徴的に図式化されています。

「カバラ」という言葉は「受け取る」という意味でもあり、口から耳に伝えられる秘伝、神から天使に、天使から人間に、祖先から子孫に、師から弟子に受け取られ、手渡された永遠の伝統、とされています。

その「受け取る」ことの究極が、「生命の木」の「瞑想」です。

瞑想とは、「生命の木」の源である無の世界から、直接、受け取ることでもあります。

ヴィッキーさんも、オーラソーマカラーケアーシステムをその瞑想の中で伝えられたのでした。

「オーラソーマシステム」は左脳と右脳を統合するものでもあり、その理解には左脳だけでなく右脳も必要です。

瞑想を、この「オーラソーマシステム」の源、「生命の木」の源とつながること、と表現してもいいかもしれません。

その意味では「オーラソーマシステム」は瞑想へのとてもいい入り口になりますね。

カバラの象徴学の第一人者シモン・ハレヴィは、自己を知るための「生命の木」を利用した次のような儀式、瞑想について語っています。
(Tree of Life, Introduction to the Cabala, Rider)
  1. 静かな場所を探し、背筋をまっすぐたてて、ゆったりとすわる。(これが「マルクト」)
  2. 膝の上に手を置き、目を閉じる。(これが「ホド」)
  3. 脈拍と息を感じとる。(これが「ネッツァク」)
  4. 心の眼にイメージが休みなく移り変わっていく様をみつめる。(これが「イェソド」)
  5. 意識を外の光景や内的ビジョン、または内的感覚から、それらすべてが起こっているものを見つめている当のものへと集中する。(これが「ティファレット」)
 君が静かな、釣り合いのとれた状態に達し、魂が霊の方向に向きを変えたとき、君は君自身とひとつになることができる。そのとき初めて君は受け取る資格ができるのである。
 幸運に恵まれ、よき師を得られたとしても、その「受け取る資格」がなければ、何も教えてもらえないだろう。たとえ教えられたとしても、その重要性に気づかず、血肉化する前に聞き流してしまうだろう。……
 「自己」に達することは、何をさしおいても実現すべき目標なのである。
 
 『ユダヤの秘義(カバラの象徴学)』(ゼブ・ベン・シモン・ハレヴィ著)