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巻頭エッセイ


第650号 【パリさん】:“自分”の誕生

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:“自分”の誕生 (2016,6/22 水)
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ぱりさんのオーラソーマでは「自分の誕生」ですが、オーラソーマ
では、新しいポマンダーが誕生しました!

さて、何色のポマンダーでしょうか?

えつこの部屋でも紹介されました。
http://ameblo.jp/nobara-rose/entry-12173198533.html

新しいポマンダーについては、詳しくは編集後記で。

それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:“自分”の誕生 を、
どうぞお読みください。

                           尚 記


       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでおつきあいいただければ、
案外、おもしろがっていただけるかもしれません。

「カラーローズ」は人間心理のパノラマです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

これ↑、毎回もう聞き飽きるくらい聞きましたよね。(^^;)

で、この“人間心理のパノラマ”という言葉ですが、ここで言う
“人間心理”って、どんなものを指していると思いますか?

たとえば、嬉しいとか悲しいというような感情でしょうか?

いいえ、明らかに違いますよね。

そういう結果的に起こる人間の感情を、直接指しているのでないこ
とは間違いありません。

好きだとか嫌いだとか、嬉しいとか悲しいとか、そんな人間心理、
人間的感情は、ここには何も展開されていません。

ここに展開されている人間心理とは、どうやら、結果的に起こる
人間的感情ではなさそうです。

ところで、感情って、どんなふうに起こるものなんでしょう?

「火のないところに煙は立たぬ」っていいますよね。

その言い方で言えば、

「何もないところに感情は起こらぬ」

とは言えると思いませんか。

たとえば、誰かが冬山で独りで登山をしていて雪崩に出遭ったとし
たら、雪崩の方に感情が起こると思いますか?

たぶん、感情が起こるのは、登山者の方だけでは。(*^_^*)

つまり、感情が起こるには、そのための“素地”のようなものがあ
ると言えそうです。

もしかしたら、そのうち山の方にも感情の“素地”が見つかるかも
しれませんが、まあ、今は無いことにしておきましょう。^^;

じゃ、その冬山の雪崩の場面で、独りだけ感情を起こした登山者に
は、まわりの山のにはない何があったんでしょう?

その登山者には何かの“つもり”があったと思いませんか?

それが、どんな“つもり”かはわかりません。

でも、何時ころまでにはどこまでは行きたい、とか、今日中にあの
山小屋に到達したいとか、何かの“つもり”はあったでしょう。

少なくとも、いつごろには帰宅するくらいの“つもり”はあった。

そして死にたくないというような生き物として当然の欲望もあった
でしょう。

だから、雪崩に遭遇して、その“つもり”が脅かされて、感情が
わき起こるわけです。

その“つもり”は当人が意識していない潜在的なものだったかもし
れません。

そういう潜在的なものも含めて、感情が起こるためには、そこに何
かの“つもり”、つまり「意図」があったでしょう。

「カラーローズ」に展開されているのはその「意図(欲望・願い)」
の原型なのです。

「カラーローズ」というのは「意図」のパノラマなんです。

でも、「カラーローズ」は「意図(欲望・願い)」のパノラマだと
しても、今度は、またちょっとわからないことがあります。

人間の意図や欲望、願いと言っても、いろいろあります。

たとえば、善意もあれば、悪意もある。

賢明な意図もあれば、愚かな意図もある、繊細な願いも、荒っぽい
願いもありますよね。

単純な話、“振り込め詐欺”を企てている意図もあれば、それを
捕まえようとする意図もあるわけです。(*^_^*)

「カラーローズ」には、そんな区別は見当たりません。

ここにはそういう判断・識別を表すような対極的表現が、まるで
見当たりません。

どうしてなんでしょう?

もしかして、「カラーローズ」に展開されているのは、そういう
判断・識別が現れる以前の意図(欲望・願い)なのでは?

むしろ、そういう個々の判断の根拠にある、最初の最初の意図
(欲望・願い)なんじゃないでしょうか。

結果的に起こる人間の判断や感情が、正しい・間違っている、嬉し
い・悲しいなど、両極に展開することはよく知られています。

正誤、善悪、美醜、大小、上下、寒暖、悲喜、好悪など、ベクトル
をひとつ決めると、必ず両極に展開します。

じゃ、そういう判断や感情の、基準というか、その根本にある根拠
って、何だと思いますか?

われわれ人間って、いろんな場面でかなり大胆に、さまざまな判断
をくだして、それに応じて多様な感情を体験します。

この判断や感情って、何を基準にして起こっているんでしょう?

すぐにはズバッと答えが見つからないとしても、たぶん、われわれ
の“価値観”を基準にして起こることは間違いないでしょうね。

じゃ、その“価値観”って、何を根拠にしていると思いますか?

たぶん、おわかりですよね。

さっきの冬山登山の雪崩の場面で、登山者だけが持っていて、雪崩
の側にないもの、それを考えるとすぐわかります。

そうなんです。

あらゆる瞬間にわいてくる判断や感情の根拠にあるのは、“自分”
という想念なんです。

上の冬山登山で雪崩に出遭う場面では、この“自分”という想念は
登山者にしかありません。

下山して戻ってくる人間社会で、全員が前提している自他の別、
“自分”がいて“他人”がいるという観念の根拠です。

これまで、何度か触れましたけど、これ、最初からあるものじゃ
ないんですよね。

赤ん坊として生まれてきたときには、まだ“自分”はいません。

これは、学習して身につけるものなんです。

つまり、親やまわりから言葉を教わる過程で、赤ん坊は“自分”と
いう観念を身につけるわけです。

現代社会では、だいたい2歳から2歳半くらいの時期です。

鏡が生活空間に入ってくることで、ずっと早まったでしょうね。

赤ん坊は、鏡のなかで、知っている人たちに入り混じって動いてい
る小さな物体を、自分として認知することになるわけです。

もちろん、最初は、鏡のなかに、これまで見たことのない何か見慣
れないものが動いているのに気づくだけです。

あれは、なんだろう(?_?) と思います。

もし、鏡のなかにお母さんやお父さんがいっしょに映っていれば、
小さい奇妙なのだけが何だかわからない。

そして鏡に近づいてみれば、そいつも近づいてくる。

たぶん、初めて鏡を見たとき他に人がいなくても、しばらく動いて
みているうちに、赤ん坊はハッとする(@_@)、かもしれませんね。

でも、たいていは、「ほら、これが○○ちゃんよ」とかなんとか、
まわりから教えられたりするものです。

そうやって“自分”が世界のなかに登場するのです。

曖昧な一体性のなかで微睡んでいた赤ん坊は、その瞬間、そこに
客観的な形をもった“自分”が存在することを知るのです。

これがこの現象世界に“自分”が誕生する瞬間です。

このとき実は、途方もない“魔法”が同時に密かに機能しはじめた
ことに、もちろん、赤ん坊は気づいていません。

ここで赤ん坊が知った“自分”の姿は、やがて一瞬一瞬、現象世界
には“自分”と“自分以外”がいるのだと教えはじめるのです。

これこそが古来【分離の幻想】と呼ばれてきたものです。

それ以来、赤ん坊は、生涯をかけてこの【分離の幻想】が生みだす
「夢」のなかで生きなければならなくなります。

それこそが「人生」という虚構の劇の味わいです。

とはいえ、この【分離の幻想】が起こらないこともありうる、とい
う意味ではありません。

遅かれ早かれ、【分離の幻想】は起こり、“自分”は誕生しなけれ
ばなりません。

なぜなら、それが望まれていたからこそ起こったわけですから。

しかし、赤ん坊はその重大な瞬間を、何の記憶もなくやりすごし、
新たに開かれた人生ゲームのなかに入っていきます。

赤ん坊は一瞬のショックをすぐに忘れて、いかにも昔から知ってい
たかのように振るまいはじめるんですよね。(*^_^*)

もうすでに【聖なる催眠】は起動し、“自分=エゴ”は生まれてい
るわけですから。(^_-)

ネイティブ(先住民)の世界では、特別な儀式のとき以外は、生活
空間に鏡を入れることを認めない部族もあるようですね。

いまでは、ごくごく例外的存在になったみたいですが。

赤ん坊の鏡の初体験からもわかるように、“自分”という観念は、
最初から身体と密接に連動しています。

“自分”とは、ズバリこの身体のことなのです。

この皮膚の内側が“自分”、その外側が環境とか世界、そしてその
環境のなかにいる“自分”みたいのが“他人”というわけです。

このルールを覚えることが、この劇の世界への入場券です。

この身体が自分だと認めた仲間たち、つまりわれわれが展開して
いるような人生という劇がはじまるわけです。

人生とは、眼前に起こってくる現象を解釈し、判断することです。

暑いとか寒いとか、美味しいとかまずいとか、美しいとか醜いとか、
好き放題にいろんな判断をくだして、感情を体験できます。

自分と他人が登場する人生という劇を満喫できるのです。

というわけで、それで万々歳なのですが・・・。

この居心地が良くて、すべての体験を可能にしてくれていた身体が、
いつか、だんだん苦悩の種になってくるんですよね。

この身体が自分だと知っているし、それは間違いないはずなのに、
その感覚がどうもいまいち落ち着きが悪くなる。

今までこの身体が自分だという前提で、ずいぶん夢中になってやっ
てきたのに、その感覚が素敵な体験ばかりは保証してくれない。

なぜなら、この身体が自分だとすると、この身体はどうやら、いつ
までもは生存できないらしいからです。

これまでずっと生きている人の話を聞いたことがない。(-_-)

ということは、自分もいつかは滅びるんだ!(@_@) ⌒★?

これが、なんとしても納得できない。

いったい自分は何のために生きているのか。(@_@)

などと悩みはじめるわけです。(*^_^*)

こうして、いわゆるスピリチュアルな探求がはじまるんですよね。

まあ、このことについては、また機会があったら書かせていただく
かもしれません。(^^;)

今日は変な話を聞いたなぁ、と思われるかもしれませんね。

気にしないで、すべて忘れてくださいね。

たまに、こんな変わった話を聞くのもまたいいものです。

もし息抜きにしてもらえたら、こんな嬉しいことはありません。

ほんとうに、この「カラーローズ」で展開される“人間心理”の世
界って、いったいどこに向かっているんでしょうね。

(*^_^*)

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』( http://p.tl/0WWA )。(-_-)

実際、この旅はどこへ向かっているのでしょう。^^;;

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。

「オーラソーマ」が、ゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーロー
ズ」というすばらしいツールに触発された、まったく自由な立場か
らの連想です。

おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記


       ………○…………○…………○………

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