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巻頭エッセイ


第778号 【パリさん】:同時両端:レッド・グリーン極

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:
           同時に両端を見る「レッド:グリーン極」 (2017,9/13 水)
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パリさんのカラーローズによる人生ゲームのお話、深いですね。

カラーローズについて誤解のないようにひとこと言っておくと、

パリさんが毎回書いているように、

「いつもお断りしているとおり、これは『オーラソーマ』で認定さ
れた見解ではありません。

『オーラソーマ』が、ゲーテの色彩論から引き継いだ『カラーロー
ズ』というすばらしいツールに触発された、まったく自由な立場か
らの連想です。」

また、

「ドラマを願ったそんな欲望のパノラマが『カラーローズ』です。

『カラーローズ』に展開されているのは、人生という物語を求めた
『意図(欲望・願い)』の元型です。」

というふうにもパリさんが書いていますが、オーラソーマでは
『意図(欲望・願い)』を超えた「意識」の鍵ともなるものです。

人間は光の存在であり、その光を人間の目に見える色で分類したの
が、カラーローズです。

全ての存在、肉体も感情も思考も魂もエネルギーであり、そのエネ
ルギーの波長ないし状態を目に見える色で表したのがカラーローズ
とも言えます。

人生の物語は、主にその人の思考と感情によって織り成されていま
すから「『カラーローズ』に展開されているのは、人生という物語
を求めた『意図(欲望・願い)』の元型です。」というのは、素晴
らしい洞察ですね。

カラーローズは、人生(ゲーム)を見るための一つの視点をもたら
してくれます。

「意識」はそのゲームのすべてに気づいている「気づき」です。

最近のパリさんのカラーローズのマイブームは、「同時に両端を見
る」というテーマですが、同時に両端を見ることができるのは「意
識」なのです。

なので、オーラソーマのボトルには、「イクイリブリアムは意識の
鍵です」((Equilibrium is a key to consciousness)と書かれてあ
るのです。

オーラソーマはこの世での人生ゲームへの気づきをもたらしてくれる
ものであり、カラーローズはそのヒントを与えてくれますね。


それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:同時に両端を見る
「レッド:グリーン極」を、どうぞお読みください。

今日もすてきな一日を!

                           尚 記


       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでおつきあいいただければ、
あんがい、おもしろがっていただけるかもしれません。

「カラーローズ」は人間心理のパノラマです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

ただここでいう人間心理とは、具体的な喜怒哀楽のことではなかった
んでしたね。

「カラーローズ」でいう人間心理とは、そのような人間感情を味わう
ための“体験世界を願ったその思い”の元型のことでした。

“体験世界を願う”その心理の元型・・・。(-_-;)

こういう言い方をすると、あなたが、何かとても難しそうな自分と
は無縁な哲学の話だとお感じになることは、よく知っています。^^;

でもじつは、私たちがそう感じるのは、この話が私たちと無縁だから
ではないのです。

そう感じるのは、私たちが幻想という船に乗って、あまりにも遠く
まで航海してきたからなのです。

RPGという言葉をご存知ですよね。

──────────────────
 ロールプレイングゲーム(role-playing game, RPG)とは、
 参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤー
 キャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、
 架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘
 など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームである。
 さまざまな設定と制約の下、空想上の世界で物語の登場人物
 のように活躍できる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ロールプレイングゲーム
──────────────────

コンピュータゲームの機能が発達してきて、今とても流行っている
らしいですね。

RPGとは、要するに、その物語の骨格(世界観)や戦い方の規則
を理解した上で、何かの役になりきって遊ぶゲームのことです。

もちろん、すべてが作り話であることは参加者全員承知の上です。

そんな作り物の世界や物語に、そんな作り物の価値観や戦闘ルール
に、誰も本気になんてなれないだろうと思いますか?

いいえ、そんなこと全部承知の上で、誰もがけっこう本気になるん
です。(^^;)

あらゆる娯楽は全部作り物です。

そんなこと全部承知の上で、誰もがすぐに夢中になるんです。

本気になるからこそ、ゲームがおもしろくなるのですが、夢中に
なると、それはけっこう高いものについたりします。

私たちの世界の、幸福と不幸を見てください。(-_-;)

(*^_^*)

ま、それはともかく、RPGゲームの開発者たちは大忙しです。

ゲームの骨格が決まり、その企画が通ったら、作成会社の全努力は、
そのゲーム世界をいかにリアルにするかに注がれます。

その意味では、RPGも映画も、プロセスは似たようなものです。

そして、映画の最終的感動が観客のなかで起こるように、ゲームの
最終的成果も、ゲームプレーヤの熱中のなかで起こるのです。

“ネトゲ廃人”という言葉を聞いたことがありますか?

成長過程であまりにもネットゲームの魅力に取り憑かれてしまって、
ゲームをしていない普通の状態に戻りにくくなった人です。

ネットゲーム依存症と言い換えてもいいです。

考えてみれば、恐ろしいことですよね。

もちろんRPGを否定しようとか、そんな意図はまるでありません。

ただじつを言うと、人生そのものが構造的にこのRPGと、とても
似ているのです。

赤ん坊として誕生したとき、私たちはまだこの世の価値観や規則を
身につけていませんでした。

お子さんをお持ちの方はよくご存知でしょう。

赤ん坊という生命体は、まだ人生には組み込まれていません。

でも、赤ん坊は、やがて世界の価値観やルールを学んで、人生に
組み込まれはじめます。

その期間中に、赤ん坊の精神身体構造のなかでどんなことが起こっ
ていると、あなたは思いますか?

その期間、赤ん坊の精神身体構造は肉体の成長と維持をつかさどり、
同時に外界への対応能力を培っているでしょうね。

赤ん坊の精神身体構造は、人生のプレーヤーとして一人前になる
ための準備をしているはずです。

そして2歳から3歳にかけてのどこかの時点で、鏡に映る姿が自分
なのだと“学習する”のです。

つまり、私たちがこれほど疑わない自分という物語は、じつは学習
して身につけた、鎧のようなものだということです。

だから、違った国、違った時代に生まれたら、違った鎧を身に着け
ていただけのことなのです。

そしていったん鎧をまとって、その物語に入ったら、私たちはその
物語の主人公として夢中になって生きはじめます。

それほど、私たちは物語やドラマが好きなようです。

ドラマの主人公として人生を体験できる乗り物が肉体です。

もし、この乗り物に乗りたい欲望たちが行列で並んでいるところを
見たら、ディズニーランドを思い浮かべるかもしれませんね。

それほどにも私たちはドラマを望むのです。

ドラマを願ったそんな欲望のパノラマが「カラーローズ」です。

「カラーローズ」に展開されているのは、人生という物語を求めた
「意図(欲望・願い)」の元型です。

前回は「イエロー」と「ヴァイオレット」の対極を見たんでしたね。

今回は、「レッド」と「グリーン」の対極にフォーカスしましょう。

以前「レッド・グリーン軸」で見たのと同じ対象です。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_1088.html


      【カラーローズの欲望・願いの配置】

              ◎←ブルー
            独存し、安らぎたい
ロイヤルブルー→○     ・     ○←ターコイズ
  真理・真実を知りたい        全智・全能でありたい
         ・     ・     ・

          ・   ・   ・
ヴァイオレット
    →◎      ・  ・  ・      ●←グリーン
脱出したい、超越したい       見晴したい、受け容れたい
      ・              ・
        ・   ・ ・ ・   ・
          ・      ・
マジェンタ       ・・・・・     オリーブグリーン
  →○ ・ ・ ・ ・ ・ ○ ・ ・ ・ ・ ・ ○←
無条件でありたい    ・・・・・     調和したい
          ・      ・
        ・   ・ ・ ・  ・
      ・              ・
レッド→●      ・  ・  ・      ◎←イエロー
生きたい、貫徹したい          知りたい、体験したい
          ・   ・   ・

         ・     ・     ・
   コーラル→○           ○←ゴールド
  育みたい、守りたい   ・    豊かで、自立したい

              ○←オレンジ
            帰属し、奉仕したい


「レッド」と「グリーン」の願いの「両端を同時に見る」と、
いったいどういうことになるんでしょうね?

「レッド」の願いを、ここでは【生きたい、貫徹したい】という願
いに集約してみました。

その対極の「グリーン」には【見晴したい、受け容れたい】という
願いが配置されています。

【生きたい、貫徹したい】という「レッド」の願いはわかるけど、
【見晴したい、受け容れたい】なんて願いがあるかしら、と疑問に
思いますか?

でもですね、この「グリーン」の【見晴したい、受け容れたい】と
いう願いは「レッド」の願いが励起したものなんです。

自分として生きたい、自分の欲望を貫徹したい、という欲望自体に、
その結果を確認したいという欲望が潜在しているのです。

なぜなら、その結果の確認を含まない、生命への熱望、意志の貫徹
など意味を持ちえないからです。

自分が自分の意志を貫徹して何かを成し遂げたとすれば、その結果
を確認したいと思うのが当然ではないでしょうか。

ところで、この場合の「結果」の確認とはどう意味でしょうか?

それは、自分の欲望を貫徹したことが、全体にとってどういう意味
があったか、全体にどんな効果を及ぼしたかを確認することです。

つまり【生きたい、貫徹したい】という「レッド」の欲望は、必ず
【見晴したい】という欲望を対極に呼び起こすのです。

また、何かが自らを貫徹するためには、それを受け容れる素地とか
相手、エネルギーの存在が不可欠です。

それがなかったら、何が何に“自らを貫徹”するのでしょうか?

【貫徹したい】という欲望の対極に【受け容れたい】という欲望が
存在しなくてはならない理由が納得できましたか?

さて、ここまでは両極を同時に見るための準備です。

では、この【生きたい、貫徹したい】という「レッド」の欲望と、
【見晴したい、受け容れたい】という「グリーン」の欲望を同時に
見たらどういうことになるでしょうか?

もし、あえて「生」を熱望したら、その願いそのものが「死」を
呼び起こすことは、もうおわかりだと思います。

また意志を【貫徹したい】という欲望は、それを【受け容れる】
願いや、すべてを【見晴らす】願いなしには存在できないでしょう。

「個人」として【生きたい】という熱望は、それを【受け容れる】
「全体」への見晴らしを開くことになるのがわかりますか。

すべてを【受け容れ】、すべてを【見晴らす】欲望への展望が開い
ても、それを自分とは別物とする観点もありえます。

その場合は、すべてを【受け容れ】、すべてを【見晴らす】願いの
持ち主を、別に創造する必要があります。

つまり、すべてを【受け容れ】、すべてを【見晴らす】願いを持った
「神」という(自分とは別の)存在を想定するわけです。

でも、もしそれを神に預けないで、【見晴したい、受け容れたい】
という欲望も、自分の欲望だと認めたらどうなるでしょう?

そうなると、【生きたい、貫徹したい】という欲望も、【見晴したい、
受け容れたい】という欲望も、両方とも自分です。

「レッド」の欲望も「グリーン」の欲望も、両方とも自分の欲望だ
と認める立場です。

でもその場合、欲望の両極を同時に見ながら、しかも欲望を起動す
ることができると思いますか?

何がなんでも自分の意志を通すと頑張ったのに、それを受け容れる
のも他ならぬ自分だったとわかってしまったわけです。

「レッド」の願望も、「グリーン」の願望も、どちらも確かにわか
るし、同意できます。理解可能です。

でも、両方を同時に願うことができますか?(?_?)

無理ですよね。(*^_^*)

この対極の2つの願いは、同時には起動できません。

両極の欲望が両方とも自分だとわかってしまっては、欲望を紡ぐこ
とはできなくなるからです。

それを避けるために私たち全員が同意しているゲームの規則が、
「他人」という主体なんですよね。

これでゲームが可能になるわけです。

「両端を同時に見る」とは、振り子が右側に振るのは、振り子が
左側に振るためだと、知っているということです。(*^_^*)

これが完全に見抜かれるまでは欲望もありえますが、完全に見抜か
れたら、欲望は起動できません。

だから、この2つの色、2つの意図を加法混色すると、互いに相殺
して、無色透明の光に戻ってしまうのです。

それは色として成立しえない、欲望として存在できないからです。

一方の欲望に注目して、他方を無視しているときにのみ、その欲望
は存在しているように見えているのです。

しかもそうでありながら、一方の極は必ず対極を必要としていて、
片方だけでは存在もできない。

つまり、ほんとうは存在できないものが、魔法で存在しているよう
に見えているだけだということです。(*^_^*)

不思議ですよね。(^_-)

ほんとうに、この「カラーローズ」で展開される“人間心理”の
世界って、いったいどこに向かっているんでしょうね。

(*^_^*)

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』( https://goo.gl/WKxSfL )。(-_-)

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定された
見解ではありません。

「オーラソーマ」が、ゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
というすばらしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。

おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記


       ………○…………○…………○………

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